NHK 大河ドラマ「平清盛」
あまり人気ないみたいです。面白いんですけどね~。
平安時代は戦国や幕末と違って人間関係がややこしいというのもあるのでしょう。
かくいう私も平安時代の記憶は薄っぺらです。
でもだからこそ楽しめる。
先が読めないというか、
ストーリー忘れてますから、、。
そんな平安時代の主役「平清盛」を盛り上げるべく保元の乱までの人間関係、まとめてみました。
登場人物カテゴリーは大きくわけて3つ。
天皇・・天皇家(宮家)
貴族・・藤原摂関家
武士・・平氏と源氏
まずは天皇家の
愛憎まみえた展開から。
白河法皇 (しらかわほうおう)
悪い顔してますね~。
剛腕ドロドロ政治家って印象です。愛人もたくさんいそうです。
天皇(帝)は、地位を他に譲る(
譲位)と上皇になります。そして上皇が仏門に入り出家すると法皇に。
天皇→上皇→法皇。
現代風に言うと、社長→会長→相談役って感じか。
天皇という地位を息子に譲って上皇になると、こまごまとした決まりごとの政治を新天皇にまかせ、自分は今までのしがらみにとらわれず政治を行えるという利点があります。
天皇から上皇に退いても実質の政治は自分が取り仕切ることを「
院政」と言います。
ただし、「院政」は天皇の父か祖父しか行うことが出来ません。
白河上皇-堀河天皇白河上皇はこの院政を初めて行い、さらに(1096年に娘の死を悲しみ出家して)法皇となり、世を意のままに動かしていくようになります。
その横暴さから「
もののけ」と呼ばれるように。

この迫力、妖怪レベルまでいってます。
白河上皇-堀河天皇(崩御 1107年)
↓
白河法皇-鳥羽天皇
堀河天皇の後に即位した
鳥羽(とば)
天皇は、白河法皇の存在により自分の政治が行えない。
「院政」は天皇が幼少でまだ政治が執り行えないという名目でするもの。
鳥羽天皇(5歳で即位)もしばらくガマン。でも大きくなってそろそろ自分で出来るかなという段階で、法皇の意向で譲位させられ上皇に。
崇徳(すとく)
天皇 誕生。
普通はここで鳥羽上皇がある程度仕切れるはずだが、譲位は白河法皇が鳥羽上皇に政治をさせず自分がそのまま政治を牛耳るためにさせたこと。
ゆえに鳥羽上皇の状況変わらず。
白河上皇-堀河天皇(崩御 1107年)
↓
白河法皇-鳥羽天皇
↓
白河法皇-鳥羽上皇-崇徳天皇
-夫婦-

←
禁断の関係→
祖父さらに鳥羽上皇の妻である待賢門院・
璋子(たいけんもんいん・たまこ)は、白河法皇と通じてました。いわゆる大人の関係。
でもって鳥羽上皇の息子である
崇徳天皇はその
璋子と白河法皇の子供だったりする。

魔性の女、璋子。好きなお花:水仙。
美人なんですけど天然入ってます。
白河法皇との関係を責める鳥羽上皇にも、
だって求められたんですもの的な感じで特に罪悪感なし。
鬱屈する鳥羽上皇。どんどんダークサイドに引き込まれていきます。
でも、崇徳天皇だって同じです。
あのにっくき白河法皇と璋子の子だと父の鳥羽上皇から疎んじられ、政治の実権は祖父(実の父)の白河法皇が握ってる現状。

禁断の落とし種:崇徳天皇
俺の存在って?と苦悩します。
ちなみに、崇徳天皇の弟である
雅仁親王。
こういう親族の醜い争いごとに苦悩するより開き直ります。
どうせこの世は無茶苦茶、自分が皇位を継ぐ可能性もないし、楽しく生きてやるぜと放蕩三昧。

髪型がすでに
パンキッシュ。
そんな中、
白河法皇崩御(1129年)。
「もののけ」から解放された
鳥羽上皇、鬱屈したまま
ついに実権を握ります。
そして美福門院・
得子(びふくもんいん・なりこ)との間に生まれた子を天皇にします。
白河法皇(崩御 1129年)-鳥羽上皇-崇徳天皇
↓
鳥羽上皇-崇徳上皇-近衛天皇
近衛(このえ)
天皇 誕生。なんと2歳(1141年)。
崇徳天皇は譲位させられた上に、自分の子を天皇にすることも出来ず、実権は鳥羽上皇が握ってる状況。
譲位する時も得子から、(近衛天皇を養子にして)自分は上皇になり「院政」を行えばいいじゃんと言われ、まあいいかと譲ってみたら、崇徳上皇と近衛天皇は兄と弟(皇太弟)の関係とされてました。兄の立場では「院政」は行えません。
ますます俺の存在って??と苦悩します。

ここまでくると冷めた顔も板についてきました。
白河法皇-鳥羽上皇-崇徳天皇
↓
鳥羽法皇-崇徳上皇-近衛天皇
ちなみに近衛天皇の母である
得子(なりこ)。
好きなお花:菊。
璋子のような魅力はないですが、鳥羽上皇の苦悩を理解できる常識的感覚は持っていました。
そして璋子に対して抱く激しいライバル心と嫉妬心、自分の子を天皇に即位させようと策略をねる野心と権力欲も持ってました。

その後の
璋子(たまこ)。
璋子につかえる者が得子に呪詛(じゅそ:呪いをかける)した、といいがかりをつけられ出家、後に重い病の床へ。
鳥羽法皇は取り乱し、季節外れの水仙を取ってくるように源氏と平氏に命じます。
最後に「愛」を理解した璋子。水仙を手にして亡くなります。
璋子を愛するがゆえに憎しみも百倍抱き続けた鳥羽法皇。
璋子から全てを奪い去ることは出来なかった
得子は、ちょっと複雑な心境です。
そんなこんなで、鳥羽法皇と得子の世が到来したのですが、喜びも続かず、
近衛天皇が17歳の若さで崩御。

このような事になったのは、長年の崇徳上皇に対する仕打ちへの報いではないかと鳥羽法皇は思い、確執を振り払うためにも、崇徳上皇の息子である
重仁親王を帝にしようと考えます。
順番から言ってもそれが自然の流れでもありました。

これに大反対したのが新興貴族の
信西(しんぜい)。
今さらそんな事をしても崇徳上皇が積年の恨みを忘れるはずはなく、自分の息子と共に政治を行い、鳥羽法皇を疎んじ、結局は新たな対立を生み出し世が乱れるだけだと。
鳥羽法皇が扱いやすい人物に皇位を与えるべきだと。
新天皇に選ばれたのは、なんと放蕩三昧で奇行を繰り返していたあの
雅仁親王(崇徳上皇の弟)。

この急転直下の決定には得子の意向もありました。寵愛していた養子である守仁親王(
雅仁親王の子)を天皇にしたく、その中継ぎで父の
雅仁親王を推しました。
とにかく、
後白河(ごしらかわ)
天皇 誕生です。

棚からボタ餅キタ~!
いつか自分の子(重仁親王)を天皇にし自らの手で政治を行える日を夢見てきた崇徳上皇の落胆ぶりははかり知れません。ガマンも限界です。
さすがに気がとがめた鳥羽上皇は自らの所業を悔いる旨を伝えますが、崇徳上皇は受け入れません。

二人の溝は埋まることなく、
鳥羽法皇は苦悩しながら崩御。
法皇というタガが外れてしまうと、
崇徳上皇(兄)-後白河天皇(弟)の対立は亀裂に発展。

歴史的に重要な意味合いを持った「
保元の乱(ほうげんのらん)」が勃発します。
これが第20話ぐらいまでのまとめ。
天皇家だけでえらい時間かかってしまった。
なので、藤原摂関家と源氏平氏のまとめは今のところ断念。
↑一応続きを書きました。
<ブログ内関連記事>
NHK大河ドラマ「平清盛」を盛り上げるためにまとめてみた
天皇編 ←このページです
藤原摂関家編その1~藤原道長藤原摂関家編その2~藤原頼長武士の起源<主要参考>
NHK大河ドラマ「平清盛」公式HP保元の乱顛末1学習まんが日本の歴史 5-貴族のさかえ-平安中期・後期 <増補版・1998> 【小学館】鳥羽上皇の熊野御幸
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