虞美人草の名前由来物語史記~項羽と劉邦
一時期、大ハマリしたミクシィー(mixi)のサンシャイン牧場。
虞美人草(ぐびじんそう)でうめたマイ牧場の図(2010年12月)。
せっかくなので名前の由来を紹介。
2000年以上前の中国。
秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の横暴に民衆は反発しました。始皇帝の亡き後、国は乱れ、楚(そ)の
項羽(こうう)と漢(かん)の
劉邦(りゅうほう)の二傑が立ち上がります。
共に戦い、秦は滅びますが、今度は覇権を狙い「
項羽と劉邦」が戦うことになります。
圧倒的な力を持ち猪突猛進タイプの項羽に対して、劉邦はお調子者でイマイチ頼りないです。
しかしながら、周りの人の声に耳を貸さず独断型の項羽に比べて、素直な劉邦のもとには優秀な仲間が集まりだします。項羽のもとではあまり重用されなかった「韓信(かんしん)」もその一人でした。
強大な勢力を持った項羽軍もそんな劉邦軍にしだいに追い詰められます。
そして残り少なくなった項羽軍を、劉邦軍の捕虜となった元項羽の兵士たちが取り囲み、楚のふるさとの歌を歌います。故郷を思い出した項羽の残りの兵士たちは闘う気力を失い、多くが投降しました。
四面楚歌ということわざの由来です。
項羽には
虞姫(ぐき)という妻がいました。その美しさに皆は虞姫のことを
虞美人と呼びました。
敗北を悟った項羽は虞姫には生き延びて欲しいと思い、これ以上一緒に行動することはできないと、劉邦のもとへ降伏するよう言います。女好きの劉邦なら虞姫を悪いようには扱わないだろうと思ったのです。しかし、虞姫はこれを拒否し自決します。虞姫の実弟も後を追い命を絶ちます。
嘆き悲しんだ項羽は、その後、劉邦軍に降伏することなく武人として戦い続け最期を遂げます。
その話を憐れんだ民衆は、虞姫が自決した場所に生えていた
ひなげしの花を
虞美人草(ぐびじんそう)と呼ぶようになりました。
劉邦はその後、中国を統一、漢を興しました。
そして数百年後、中国は三国志の時代へ突入します。
おわり。
<参考>
「項羽と劉邦」 横山光輝
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