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    NHK「平清盛」を楽しむために ~ 武士の起源

    NHK「平清盛」を楽しむために
     ~ 武士の起源とは? ~

    源平の起源1
    武士って、いつの間に、どこから出てきたのでしょうか。

    実は、武士は天皇の子孫だったりします。

    源平の起源2
    天皇の子は全員が皇位を継ぐわけではありません。
    皇位を継げなかった子達はやがて皇族を離れていきます。
    その際、臣下として与えられたのが「源」氏や「平」氏といった「姓」

    源平の起源3
    」は天皇を源とする意味。
    」は世を平安に導くという意味。

    源氏と平氏はそれぞれ一族を増やしていき、その中で武力に長けた者は都で検非違使(けびいし)という警察のような役を担ったり、地方を治める国司となったりします。
    清盛の時代から200年以上前のことです。

    地方の国司の中には、そのまま居ついて軍事力を身につけていき、次第に朝廷に従わなくなる者も出てくる。
    武士の原型の誕生です。

    源平の起源4 源平の起源5
    平安中期、関東でその体表格「平将門(たいらのまさかど)」が親皇を名乗り朝廷に反逆。
    「平将門の乱」(935年)が起きます。
    しかしその2ヶ月後、平将門は同じ一族の平貞盛(さだもり)や藤原秀郷(ひでさと)らによって討ち取られました。

    平氏略系図
    桓武(かんむ)天皇
     → 高望王(たかもちおう)
         → + 国香(くにか) → 貞盛
           + 良将(よしまさ) → 将門

    同じころ、瀬戸内海で海賊を率いて暴れたのが藤原純友(ふじわらのすみとも)。
    彼は伊予国(いよのくに・愛媛県)の国司でしたが、務めを終えた後も都に帰らず、付近の海賊と手を結び摂津国(せっつのくに・大阪・兵庫)などを襲撃、「藤原純友の乱」(939年)を起します。
    さらに翌年には淡路国(あわじのくに・淡路島)などを襲い、朝廷に背き続けます。
    2年に及んだ乱を指揮した純友は最終的に朝廷軍に捕えられこの世を去ります(自害したとも言われる)。

    この、東(平将門の乱)と西(藤原純友の乱)の乱は年号をとって「承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱」と呼ばれます。
    どちらも鎮圧されたとはいえ、貴族だけでは対応しきれず、武士の力を要しました。
    武士の乱を武士がおさえる。武士の存在感が増していくきっかけになります。

    源平の起源6 源平の起源7
    その約100年後、東北で力をつけてきたのが源氏
    東北を治める役人として派遣された源義家(よしいえ)は地元豪族との戦いで武勇を馳せ、やがて東北から関東にかけて大きな影響力を持つようになりました。

    源平の起源8
    東北・関東で活躍した源氏の一族と、平将門を討った平氏の一族はその後活動の場を京都へと移し、都の治安維持や上皇の警護の役にとり立てられていきました。


    そして平安時代の終盤、平氏と源氏それぞれに運命の子が生まれます。

    源平の起源9

    平清盛」と「源義朝」です。


    <ブログ内関連記事>
    NHK大河ドラマ「平清盛」を盛り上げるためにまとめてみた
    天皇編
    藤原摂関家編その1~藤原道長
    藤原摂関家編その2~藤原頼長
    武士の起源 ←このページです


    <主要参考>
    NHK特集 源平合戦!平清盛vs源義朝 2012/05/15
    小学館学習まんが日本の歴史5 - 貴族のさかえ(増補最新版)
    経営者平清盛の失敗 山田 真哉 - 書中の略系図
    藤原純友 - Wikipedia


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